ブラジルの群像(上)
海外協会理事 村山 空山(松山市在住)
「この大地に夢を」 移住百年 不屈の精神脈々と
サントス海岸に建つ日本
移民ブラジル上陸記念碑
  サントスの海は濃紺だった。サントス港はコーヒーの輸出で発展したブラジル最大の貿易港である。埠頭に各国のコンテナが山積みされていた。2、3隻のフェリーが水尾を引いて外洋へ消えて行った。
  第1回のブラジル移民笠戸丸は愛媛県人21名を含む781人を乗せて神戸を出港、51日の航海をして1908年6月18日午前9時半このサントスに入港した。日本ブラジル移民の第一歩の地である。彼等は移民収容所で数日間の研修を受けて各地へ散って行った。
  1998年、ブラジル日本都道府県人会連合会が移民90周年を記念してこの地に「日本移民ブラジル上陸記念碑」を建立した。副碑に「この大地に夢を」とある。夫婦と少年が肩を寄せ合い父親が彼方の夢の大地を指さしている像である。彼等にとって指先の彼方は希望の大地であったのだろうか。
  サントスのメイン通りに青いドームを持つコロニアル風の豪華な建物「旧コーヒー取引所」がある。今はコーヒー博物館になり1930年頃の活気ある港や市街の賑わいなどのセピア色の写真が掲っている。50キロのコーヒー豆袋を荷役している男たち、コーヒー園で働く日系移民の少女たち、日の丸の小旗をふりながら列車の窓から顔を出して運ばれてゆく移民たち、この人たちはその後いかなる生涯が開けていったのだろう。 
  今回ブラジル移民100周年、愛媛県人会55周年の記念式典にあわせて「ブラジル愛媛県人100年の歩み」の労作が出版された。 そこには初期移民たちの苦闘の歴史が刻まれていた。生命をかけて未知の大地に立ち向かった人間ドラマが満載されていた。ハングリー精神のもとで背水の陣で柳行李一つを携えて渡った日本人の姿があった。
  ブラジル移民100周年、その間営々と受け継がれたものは日本的な努力、根性、我慢、不屈の精神であった。
 今回の祝典で出会った人たちは皆その精神的後継者であった。ブラジルの大地はその日本人たちの「やる気」に応えてくれたのであろう。そしてその人たちはブラジル社会の中で確固たる地位を築いていた。
  2003年10月、愛媛県人会50周年記念に出席した時は西村定栄会長だった。会長を中心に幹部方の団結、打てば響くような先回りの対応、そして律儀で、心こもる歓待に一度の訪伯で県人会の皆さんに心を とらわれてしまった感じであった。そして今回、藤原利貞新会長や皆さん方に再訪の約束を果たすことができた。当時握手して別れた初代会長中矢一郎さんは他界されて残念であった。
  この5年の間に我が家に海外協会の研修生のヘンリー中矢、フーベンス藤崎がホームステイしてくれた。貧しい食卓を囲んで談笑した2人の好青年。素直で素朴、危うげのない一途な生き方にまぶしい程の輝きがあった。この2人も待っていてくれた。
  出会った県人会の人たちは皆半端じゃない、あらゆる試練に耐え抜いて今日の成果を得た人たちだった。今の日本人は100年前にサントスへ第一歩を踏み入れた先人の気力、気概を忘れてはならない。ブラジルにかけた群像の熱い思いを再認識することが、移民100年の意義でもあろうと思うのである。

ブラジルの群像(中)
海外協会理事 村山 空山
強烈個性、傑出した活躍
 2009年元旦、恒例の天皇陛下のお歌五首が発表された。その一つ「日本ブラジル交流年・日本人ブラジル移住100周年にちなみ群馬県を訪問」のお題で「祖父の国に働くブラジルの人々の幸(さち)を願ひて群馬県訪ふ」であった。陛下のご関心の程が偲ばれる。
  このお歌で随分と勇気付けられた人たちも多いだろう。
  1月15日の宮中の歌会始の入選歌でブラジルの筒井惇さんは、「エタノール生産工場中(なか)にして甘蔗畑の四方(よも)に伸びゆく」と詠んだ。今回の訪問団は終日果てしない甘蔗畑を通りその工場を見学した。また昨年の入選歌にブラジルの渡辺光さんは「晩秋の牧場の地平に野火走り一千頭の牛追はれくる」があった。共にその情景が鮮やかに蘇る。
  今回、官民合同訪伯団35名はサンパウロ郊外の「ブラジル日本移民開拓先没者慰霊碑」に詣でた。第1回移民船笠戸丸は100年前の6月18日サントスへ入港、この日を「移民の日」として毎年慰霊祭が行われている。高浜団長以下団員一人ひとりが白菊を献花した。読経といろは歌の一句を捧げた。「色は匂えど散りぬるをわが世誰ぞ常ならむ有為の奥山今日越えて浅き夢みし酔ひもせず」はブラジル大地に眠る諸霊が祖国を懐かしんでくれたであろうか。
  今回の式典に合わせて記念出版された「ブラジル愛媛県人100年の歩み」はまさに移民100年を語る大労作であった。笠戸丸移民から多くの県民先達たちの歴程が盛られている。そしてこの100年、祖先たちの開拓魂が今日に受け継がれていた。
  訪伯団は短い滞在でもブラジル県人会の周到な計画と藤原会長の誠意あふれる配慮と見事な采配によって現地の実情を知り多くの人たちとのすばらしい出会いをもった。
  これらの群像たちは強烈な個性を持ちこの大地にじっくりと根を下ろしているのである。ブラジルの大地は日本ではとても育たないような人間性が育つのであろうか。
  古武士の風格で淡々とした言動で人を包みこみ、5年の空白を埋めるように再会を喜び、己を無にして連日歓待案内してくれた西村さん。花を愛すると同じように人を愛し、自分を傍らにおいて農園一族をあげて訪問団に尽力してくれた大規模花キ栽培の藤原さん。サクラ醤油では社長以下の役員全員で工場案内をしてくれた。数年前わが家へホームステイしたヘンリー中矢さんとの再会も嬉しいものであった。ここまでになったのは皆様のおかげと感謝と謙虚さがさくらの社風であった。パトカー2台の先導で井上農場に招待された。大きなジャガイモのホイル焼きや焼肉の美味さが格別の昼食だった。一族あげての温かい接待、長い日時をかけて準備なされたことだろう。訪問団は大いに開放感を味わった。私流では「柿の益田さん」だが、案内してくれた花の市場、果物の市場の広大さと喧噪さ、そこにはブラジルの原色と土の香りが満ちみちていた。フーベンス藤崎さんとは3年ぶりの出会いだった。肩を抱き合い彼の広大な牧場の話を再び聞くことができた。其の他すごい多くの人たちがひかえている…。
  今回、ブラジル社会で信頼をうける日系社会の活動を目のあたりにし、また移民100年の間の愛媛県人会員の傑出した活躍に驚嘆し誇りに思う。 今日の日本は閉塞感、固定観念が漂っている。このブラジルを見ればまさに眼からウロコがとれるだろうは思いすぎだろうか。

さくら醤油の見学 井上農場にてランチタイム
ブラジルの群像(下)
海外協会理事 村山 空山
至誠、勤労、助け合い 日本の伝統精神 大地に息づく
 先号に天皇陛下のお歌「父祖の国に働くブラジルの人々の幸(さち)を願ひて群馬県訪ふ」を紹介した。
その群馬県高崎市の一高校は経済的に苦しい日系ブラジル人生徒の学費延納の容認措置をして勉学が続行できるようした、という。現在の不況で日系ブラジル人が失職して帰国が急増しているという。父祖の国にあこがれ働きながら学ぶ若者たちが夢破れて中途帰国では悲しすぎる。
 さて私の今年の年賀状は丑年に因んでブラジルの牧場をイメージしたもので、以前にフーベンス藤崎さんにとてつもない大牧場の話を聞いて興味を持ったものである。一万数千頭の牛、広い所へ少数しか放牧しないという。画のように群れてはいないだろう。
 賛には「天無私」と入れた。大自然は万物万人に平等である。生きとし生けるものに公平無私である。それがブラジルの天地の実感であった。まさに自然と人生のバランスの学習の現場であった。 それはブラジル各地で生涯を農に打ち込んだ人たちのいぶし銀のような生き様と、その間の至誠や勤労に裏打ちされ自然と培養された人間の美しさや、充実した人たちとの出会いからである。
 花栽培の藤原さんは来日中の一日、県の案内で県下の代表的農園めぐりをした。西予市宇和町の蘭農場では技師たちと蘭について特に専門的な話をしていた。わが憶測ではあるがやがて新種の胡蝶蘭が愛媛ゆかりの名前でブラジル全土に拡がってゆく夢のようなことが実現するであろう気配を感じた。
 井上さんは馬鈴薯の大生産者である。かつてご縁あって拙著に「青天独歩」をサインして送った。今回、井上邸の書斎にその本を見出して赤面する思いであった。井上さんはブラジルの天空と大地と共に生き、まさに生命を大地に密着して燃焼した境涯である。その堂々たる底光りする生命の価値に対して何気なく一句したことの軽率ささえ感じたのである。
 五年前に出会った西村さんはその空白がないように両腕で私を受け止めてくれた。 試行錯誤の末トマト栽培の成功で今日があるという。ブラジルの天地に根性を据えて己をぶっつけてこそ自然は応えてくれるのであろう。そしてその歳月こそが彼の人に何にもおかされない古武士(ふるつわもの)のような風格を自然と備えてくれるのであろう。
 柿の益田さん、訪伯された天皇皇后両陛下に自作の柿を召し上がって頂いた柿作りの名人である。今日でも果樹の一研究者の様な真摯な日々である。自然と人為の和合がいい果実を生むのだから千変万化で農には究極はないという。花と果実の市場を案内してもらっている間にも四方から声がかかり呼び止められる。信頼を一身にうけている背をみつつの市場見学であった。
 さて今は亡き県人会初代会長の中矢一郎さんの思い出は深く重い。「在伯県人は愛媛を誇りに思いその名をけがさぬように頑張ってきている。今の日本は経済第一でやさしさや思いやり、温かみや助け合いの心が何処かへ消えている。誠の日本の美しい伝統精神はむしろブラジル日系人にあるように思う。これは遠くから見ているとよく解る」と。
 ブラジルの現状を見ることは日本を考えることであった。
 先般ブラジル女子留学生三名の送別会があった。みんな輝いている娘さんたちであった。彼女たちの帰国後の健闘と幸せを念ずる。(おわり)

空山の今年の賀状 井上邸でのランチタイムのひととき